城下の告白

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城下の告白1

佐川急便が僕を変えた。

佐川急便が僕を変えた。もう20年も前のことです。

『逆境には自信を。順境には謙虚さを』
これは私がいつも自分に言い聞かせている言葉です。
私は30歳の誕生日を佐川急便で迎えました。
最初の独立が28歳の秋でした。

思うように仕事がとれず、空回りし、プレゼンをしても自分の事が先。
お客さんを前にデザインの理想を押し付けていました。
いくらプレゼンをやっても仕事がもらえない。
仕事がとれない理由は自分にあるのに、そこを見ない。
そんなとき業界から離れるため、佐川急便に行きました。

午前4;00に起き、原団地(当時住んでた)から40分かかって配送センターに着く。
同じ日に入った23歳の人が昼間には姿を消しました。それだけキツイ。

1週間を過ぎたころ20歳の先輩に便所の掃除を言い付けられました。
考えてみて下さい、経営者を前にデザインと経営戦略について理想を語った自分が、
10歳下の先輩に便所掃除をさせられる。これはハッキリ言って苦痛でした。

でもやってみよう。
そう思い、『よーしどうせ掃除するなら徹底してきれいにする』
そうきめると苦にならず、ピッカピカに便器を磨く。
これを3ヶ月ほど続けました。
汚れたこころを磨くように。

樹木は冬、葉を落とし、根に生命力を傾けます。
それは春がくるまで自らを守るように。
人生にも大変なことが重なる冬の時期があります。
私にとって佐川の頃がその時期でした。

ある、雪の降るこごえる日。
僕は皆と離れたところで一人作業をしてました。
なぜかこころは静かに落ち着いていました。

その時自分の生きてきた道のり、家族や親に対しての申し訳なさ。
自分のごう慢さ、本当に望む生き方、仕事、そして自分の命の使い方、
そんな事を考えている自分に気づきました。

それが一ヶ月くらい続いたでしょうか。
いつも気がつくと自然に涙が溢れています。
その時思いました。
原因があって結果がある。
自らがまいた種が芽を吹き実を結ぶ。
やったことがかえってくる。

これは自然の法則ですね。
仕事がとれなかった理由もハッキリわかった。

人は自分一人で生きている気になるけど、生かされてる。
そう思えたころから少しずつ僕は変わっていった。
この時期はホントにつらかった。

でも今考えると二度と体験できない、自らを見つめる時間を頂いたような気がします。

佐川急便が僕を変えた。
この時があるから今があります。

城下の告白2

koushi_shiroshita私は人前で生き方などを語れるほど立派な人間ではありません。
どちらかと言えばルーズだし、
言いづらい事をズバッと言ってしまってあとから後悔するし、
気楽な感じで生きていきたいと思っている。

ただ、子供の時から一風変わってて、
人生の意義とは何か。命の使い道とは何か。生きる指針とは何か。
こんな疑問をずっと持ち、その答えを見つけるため
人生の師を探してきました。
そして、私が29歳のときその運命の出会いが訪れました。

その人は2万件以上の臨床例を持つ、真言宗のお寺の住職でした。
その方から私は29歳~39歳までの10年間、徹底的に指導を受け
運命が作られる過程で家族の関係性が大きく影響を与え、そこに
焦点を当てた家族構造心理学を学び自分の衝動を変える事ができれば
運命は好転する事を教えて頂きました。

私は心理学や仏教の専門家でもなければ、大学でその教育を受けたわ
けでもありません。しかし住職と縁があってからの20年間。教えを
鵜呑みにすることなく自分なりの検証を加え、心理学や仏教を学んで
きました。

社会を良くする為には、大きな影響力はいりません。目の前の人が
正しく、しっかり生きるだけでいいのです。その和が徐々に広がり、
ひとり一人が正しい命を生きれば良いのです。

城下のルーツ

asahiya私の先祖には日蓮宗の僧侶がいます。
その方の法名は日恩と言いました。
日恩は仏門にありながら、ある女性と恋に落ち、
たくさんの子宝に恵まれたのです。
それが元で日恩は仏門を去り、その子らを育てるため
「旭屋」とい屋号で商売をはじめます。
当時は油を売って生計をたてていたようですが、
祖母や父の代で洋品店を営み、
現在はアパート経営を行うようになりました。
日恩の子孫である私には、商売人と僧侶の血の
両方が流れているようです。

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